先代・前澤保雄、師・波木井義雄と歩んだ修業時代と中央書房の軌跡

古本屋人生68年 85歳の再スタート 中央書房・前澤保雄さんインタビュー
聞き手:藤原(とんぼ書林)/岩森(岩森書店)/林(千章堂書店)/梶塚(三暁堂)
初出:『全古書連ニュース』第480号(2021年1月10日発行)
※本記事は、全国古書籍商組合連合会発行の業界誌に掲載されたインタビューを、Webサイト用に再構成したものです。
※一部、現代の表現に合わせた調整を行っています。
一生懸命に仕事をしてくれている息子の姿に励まされて、一念発起
藤原:
今回は全古書連機関紙部の企画により、古本屋人生68年目を迎える中央書房・前澤保雄さんにお話を伺うという大役を担うこととなりました。
前澤さんは今年の7月24日、隣にあった飲食店からのもらい火で店舗が火災に遭われましたが、10月8日に新しいお店をオープンされています。
不躾な言い方になりますが、85歳になり、店舗が焼けてなお仕事を続ける前澤さんには商売に対する並々ならぬ情熱があると感じます。
今日は前澤さんが歩まれてきた道のりや古本屋という仕事に対する思い、これまで培われてきた経験などをお聞きし、新型コロナの影響によって苦境に立たされている全国各地の同業への励みになるような記事となれば幸いです。
はじめに85歳で再スタートされたそのお気持ちを率直にお聞かせください。
前澤:
もらい火で店が焼けまして、おっしゃるとおり、八十五歳ですから、さすがに商売を続けるのは難しいかなと考えました。
しかし一生懸命に仕事をしてくれている息子の姿に励まされるところもあり、何よりも私自身がこの商売を好きで、ここが仕切り直しと一念発起して健康である限りは続けてみようと思いました。
手頃な物件が見つかったことも幸いでしたね。
古本屋だった兄の背中を追いかけて
藤原:
簡単に前澤さんの経歴を説明すると、昭和28年3月、高校を卒業と同時に水道橋にある波木井(ハキイ)書店に住み込みで勤務されています。
昭和34年8月に退社(波木井書店は昭和40年に閉店)、その後吉祥寺で古本屋(資文堂書店)をやっていたお兄さんのもとで2年半ほど仕事を手伝い、昭和37年2月に吉祥寺の北口で開業、昭和54年に武蔵小金井に店舗を移されました。
梶塚:
お兄さんも古本屋だったのですね。
前澤:
生きていれば100歳を超えていますから私とだいぶ離れています。
新宿の中村屋の隣に兄が番頭をしていた大東京書房という大きな店があったのですが、その店の荻野さんという方の口利きで私は波木井書店に勤めることになります。
林:
そもそもどうしてこの道に入ろうと思ったんですか。
前澤:
私は商業学校出身だったから銀行に勤めようと考えていました。
それを姉に相談したところ、当時は結核が流行っていたのでお札を触るのは危険じゃないかと心配されたんです。
じゃあどうしようかと思ったときに兄が「お前が古本屋になれば、お互いに何かあったときも助け合えるじゃないか」と言って、その一言で古本屋になろうと決めました。
ところが兄は軍隊に出ていて、重い背嚢を背負っていたからかヘルニアを患ってしまった。
そのうちにはたきを持つこともできなくなり、店で転んで骨折もして思うように仕事ができず、私も足掛け3年半位は仕入、掃除、値付とずいぶん手伝いましたが、兄は結局古本屋をやめてしまいました。
波木井書店で働き始めたのは昭和28年3月20日頃だったと思います。給料日が26日で数日しか働いていませんでしたが、そのとき生まれて初めてお給金をもらいました。
波木井書店での修業時代 〜新しい行き方 明るい古本屋〜
岩森:
波木井さん時代のことは耳がタコになるくらい聞いているけど、いつも楽しそうに話すよね。
本がとにかく売れたって。
藤原:
波木井書店と店主・波木井吉正さんについては、青木正美さんの『古本屋群雄伝』(ちくま文庫)に詳しく触れられています。
岩森さんがいま言ったようによく売れた店で当時の神田で一、二を争っていたそうです。
また文京支部のホームページ「文京の古本屋」に掲載されている「文京支部古老座談会」のなかでは、金澤泰次郎さん(泰雲堂書店)「波木井さんは年中来るわけではないけれど、たまに来ると独占して買っていったね。とにかく波木井さんが来ると神田の人は大変なんだ」と発言されています。
前澤:
お店は間口六間・奥行き六間の36坪、真ん中を区切って左側は人文系、右側は自然科学系統でその半分は医学書でした。
常に客足の絶えない店でしたが、新学期は学生さんが押しかけてきますから特に忙しかったですね。
ストックしてあった本を次から次に出しましたが、「飛ぶように売れる」という言葉がぴったりで、どのくらい売ったのかわからなくなってしまうぐらいでした。
藤原:
波木井さんは「新しい行き方明るい古本屋」というキャッチコピーで『古書月報』にも広告を出していますけど、この時代に「明るい古本屋」という表現ができるのはかなり先を進んだ人だと感じますね。
岩森:
その頃に売価表示をしていたのも珍しかったんじゃないの。
藤原:
正札販売をしていたそうですね。

前澤:
それについては面白い話があって、本が少ない時代ですから、棚が空っぽになれば東京中の古本屋へセドリにまわります。
同業者なので一割引いてくれますが、もちろん波木井書店にもセドリにやってくる人がいるわけです。
それで私たち従業員は「〇〇さんが来て一割引いて欲しいと言っています」とお伺いを立てると、「うちは正札販売実行店だから断りなさい」と突っぱねるんですね。
店内にも「正札販売実行店」という大きな看板を掲げていました。
いま考えると筋が通らないと思ってしまいますが、波木井の親父さんはそういうことを平気で続けてきた人です。
セドリにはダットサンを使っていましたが、親父さんは何回も試験場に行っては落ちてしまって免許を持っていないんです。
それでどうしたのかと言えば、タクシーをつかまえて運転手に「あなたはいくら給料もらってるの?」と聞く。
そして「うちはこれだけ払うから運転手をやらないか」ってスカウトしちゃうんです。
私が勤めていた六年半の間にそうやってお抱え運転手になった人が三人はいました。
車を使う仕入れの先駆けは波木井さんじゃないでしょうか。
岩森:
その頃はオートバイが主流だったよね。
うちの親父(岩森正郎)も荷台に大きな風呂敷を括り付けてたよ。
藤原:
波木井書店は社会保険にも入っていて、これも当時は大変珍しいですよね。
従業員への待遇は手厚く、商売の指導は手厳しく
前澤:
あるとき銀行の人に「前澤さん、(ハ)っていうところに勤めたことがありますか?」って聞かれたんです。
それで波木井書店の話をしたら「手続きをすれば年金が出ますよ」っていう話になって、今でもありがたく感謝しております。
ご夫婦にお子さんがいなかったこともあってか、私を含めて従業員は全ての面で優遇されたと思っています。
しかし商売に関することについては本当に厳しかった。
さっき言ったように間口六間×奥行き六間の店だから棚も相当長いわけですが、それを正面から見たときに本がぴたっと一直線に揃っていなければいけません。
親父さんがたまたま棚を見に来たときに出っ張っていたり上がっている本があると、それを指さして黙って直します。
その場で「本が揃ってないぞ!」とは絶対に言わない。
だけど二、三日して、こっちが忘れた頃になってから本がずれていたことを長々とお説教するわけです。
万引きなんかされたら大目玉で、『六法全書』がなくなったときに「お前はなにをボヤボヤしてたんだ!」と一喝されたこともあります。
とにかく本に対する愛着が強かった人で、カバーが破れている本は必ず修理をして棚に並べていました。
正札販売の話が出ましたが、全ての本に帯を巻いて「二百五十円」というふうにハンコを押して、お客さんが一目瞭然で値段がわかるようにしていました。
藤原:
(店内を見て)ここにも「小津安二郎人と仕事 二万円」とありますね。
前澤:
お客さんが「これはいくらですか」と聞くのも手間じゃないですか。
林:
こちらとしても買うつもりがない人に触って破られたりするのは嫌ですよね。
前澤:
今みたいにビニール袋もないので、包装紙の上から紙紐を十文字に縛って、文庫本一冊でも必ずそうしていましたね。
林:
値付けはさせてもらえたんですか。
前澤:
全部親父さんがやっていました。
お客さんから買ってきたものに一冊ずつ丁寧に値段を付けて、「文学」とか「法律」とかジャンルごとに分ける。
それを私たちが棚に並べていました。

楽しかった住み込み生活
林:
住み込み生活は楽しかったですか。
前澤:
楽しかったし、食事も美味しかったですね。
新学期など仕事が遅くなるときにはお寿司を取ってくれることもありました。
日常の食事でも例えばとんかつであれば家で揚げるようなことはしないで、「六時半に持ってこい」と肉屋に言いつけていました。
つまり仕事が終われば揚げたてを食べられるわけです。
魚でも「目玉の赤い奴なんかダメだ」って。
住み込みは食費も家賃もかかりませんから、
親父さんはいつも「お前たちはサラリーマンよりもいい給料をもらってるんだぞ」と言っていましたね。
岩森:
しかも社会保険にも入ってる。
藤原:
それができるだけの売上があったっていうことですよね。
前澤:
休みが第一・第三の日曜日で門限が十一時でしたが、一分でも過ぎるともう大変で、門限近くになると親父さんは小窓から玄関のほうをじっと見るんです。
門限を破ってしまった場合もその場では怒らないで何日かしてから「だれそれが十一時二十分に帰ってきた」という話を延々とする。
一時間でも二時間でもそれを直立不動で聞かなきゃいけないんです。
事務所に女性から電話がかかってくるのも大問題で「前澤君、電話だよ」と取り次ぐときはやっぱり何も言わず、しばらくしてから「前澤君のところに女から電話がかかってきました」と長いお説教が始まります。
姉ですって言っても証拠がないから通用しません。
だけどね、いま言ったようなことは全て愛情の裏返しなんですよ。
ご夫婦にはお子さんがいないし、他所の家の子供を預かっているわけだから、なにかあれば夫婦の責任になります。
生活態度を厳しくチェックするのは当たり前です。
林:
何年経ったら独立しようと具体的に考えていたんですか。
前澤:
六年半いましたが、本当は五年でやめたかったんです。
でも腎臓を悪くしたり、新学期前にやめられたら困るとか賞与が出るまで待ちなさいと言われたりして、ずるずると延びてしまいました。
藤原:
賞与もあったんですか。
前澤:
夏と年末にありました。
普段お金がないときはおかみさんに給料を前借したりとか、そんなこともありました。
林:
仕事が忙しくてお金を使う暇はなかったんじゃないですか。
前澤:
いや、休みの日になると飲み食いしてしまうんですよ(笑)。
独立の日。波木井さん直伝・古本屋十ヶ条
前澤:
私は波木井書店の退職金制度を利用して独立した第一号です。
最後の日には親父さんのお抱え運転手がダットサンに荷物を積んで吉祥寺まで送ってくれました。
店で働いている仲間も沢山いましたが、独立せずにやめてしまう人も多かった。
三日・三月・三年と言うけれど、三年も経てば古本屋という商売の奥行きがわかって、「この仕事は自分にはとてもできない」と思ってしまうんでしょうね。
藤原:
『古本屋群雄伝』には波木井さんの十か条というものが掲載されています。
一、
下町で商売をしていることに、決して劣等感を持つな。
二、
常識にとらわれず、常に独創的なアイデアを商売に取り入れよ。
三、
お客にはどんなことがあってもさからわない。
四、
故買や発禁本を売ったりして、警察で始末書を書かされるようなことをするな。
五、
下町でどんなに売れようと、セクシャルなだけの本からは足を洗え。
六、
質より量の考えからも足を洗うこと。質のよくない本は、どこまでいっても質のよくない本に過ぎない。
七、
仕入れの三割以上儲けない。
八、
店買いはきれいに、市場では一声人より高く買え。
九、
客がハッとするような新しいもの、ドキッとするような安いもの、言わば“ 切り札” を棚のところどころにさしておき、来店してはパッと出て行く“ 特急” の客を止めさせる工夫をせよ。
十、
古本屋は金を残そうと思うな。資本の蓄積は商品で。
藤原:
以上のようなもので、商売に対する姿勢をここまではっきり言語化する人は昔も今も珍しいと思います。
きっとこういう考え方が前澤さんの身体にも沁み込んでいるのでしょうね。
梶塚:
古本屋というよりは経営者という感じがしますね。
前澤:
いま言ったなかでは「独立をしてもセクシャルなだけの本は絶対に置くな」と常々言っていましたね。
林:
前澤さん自身もそういう本は扱っていないんですか。
前澤:
置いたことはありませんよ。
林:
中央線沿線ではかなり珍しいですよね。

古本屋にとって、お客様は1番の先生
前澤:
吉祥寺で開店した頃は四坪の床店ですから、扱いたいもの以外を置く場所がなかったということもあります。
岩森:
前澤さんは外で店番していたくらい狭かったよね。
藤原:
吉祥寺のお店にはどんな思い出がありますか。
前澤:
たった四坪の店でしたけど、お客さんにはとても恵まれました。
みんなよく買ってくれたし、「うちにこういう本があるから譲ってあげるよ」と言ってくれる人も大勢いて、開業当時はかなり融通してもらいましたね。
雨が降る日には早く店を閉めてセドリへ行き、日付が変わるくらいに戻って仕入れたものを整理していました。
当時岩波の『現代教育学』の定価が380円だったと思いますが、どの店でも大体280円で売っていた。
それを一割引の250円で仕入れて320円で出すとパッと売れる、そういう時代でした。
岩森:
うちが宅買いに行くと今でも吉祥寺のお店のシールが貼ってある本が出て来るんだよ。
確かに小さかったけど、尋常じゃない量を売っていたと思う。
前澤:
自分が「これは!」と思う本しか扱ってないから、売れることは売れましたね。
藤原:
前澤さんは市場では仕入れず、基本的には出品専門と言っていいと思いますが、昔からそういうスタイルだったんですか。
前澤:
昔からそうですね。
開業して間もない頃は多少買いましたが、自分で本を集められるようになってからはほとんど出品しかしていません。
藤原:
それだけ買取が多いということですけど、前澤さんがお客さんから仕入れるときに気を付けているポイントはありますか。
前澤:
依頼してくるお客さんは「この店ならば適正に評価してくれる」と考えていると私は思っています。
ですからその期待に応えられるように一冊一冊を丹念に見る、その積み重ねだけですね。
六十年以上この商売を続けていますが、宅買いで断られたのは一度だけです。
そのときは、私とお客さんの思う金額に数千円の差があって成立しませんでした。
藤原:
一度だけというのはすごいですね。
昔は高く買った本が今は値が付かないことに抗議するお客さんもいると思いますが、そういうときはどうするんですか。
前澤:
現在の価格を懇切丁寧に説明するだけです。
それで納得してもらえなければ仕方ありません。
ありがたいことに新しい店を始めてからも本を売りたいというお客さんに来て頂いていますが、とにかく誠意をもって接する、それに尽きます。
そもそも古本屋にとってお客さんは一番の先生なんですよ。
我々の知識はどうしても広く浅くなるけれど、一つの分野や一人の作家についてはお客さんのほうがよく知っている。
お客さんに講釈を垂れるような古本屋はダメです。
よく考えて勉強するつもりで話をしなきゃいけません。
藤原:
小金井では以前の店舗も含めて四十年以上営業を続けられていますが、時代の移り変わりを感じますか。
前澤:
大型店舗やチェーン店が増えて個人商店が太刀打ちできなくなっていますよね。
古書業界はそういった大きな流れとはそこまで関係が深くないと思うので、この先も工夫次第で生き残れるのではないでしょうか。
しかし六十年も中央線沿線に腰を据えていると、本当に色々なことが変わったと感慨深くなりますよ。
藤原:
人の出入りも激しいですからね。
林:
最後に聞いておきたいんですけど、店を続けることに奥さんは反対しませんでしたか。
前澤:
やめろと言われたら少しは考えたけど、そういうことは一切なかったですね。
結婚して五十数年経つけど、家内には仕事をよく手伝ってもらってありがたく思っています。
吉祥寺の店を初めて見たときはこんなに狭くて小さいとは予想してなかったみたいで、結婚は失敗だったかなと思ったらしいけどね(笑)。
最初に言ったように、八十五歳にもなってまだ古本屋をやるのかと考えました。
引退すればいいじゃないかと普通は思うだろうけど、私はやっぱり息子がいたから続けることができた。
今は跡継ぎのいない店も多いでしょうから、その点で私は幸せだと思うし息子には本当に感謝しています。
いつも朝早くから夜遅くまで八面六臂の活躍をしている息子の姿にはいつも励まされますが、どうか健康だけには注意してもらいたい。
それが親としての願いですね。
藤原:
今日は長時間にわたり、ありがとうございました。
※本記事は、全国古書籍商組合連合会発行の業界誌に掲載されたインタビューを、Webサイト用に再構成したものです。
※一部、現代の表現に合わせた調整を行っています。
